上を向こうよ

ネットニュースで江原さんの記事を読んで、「あのころの自分に伝えたい、”自分を信じなさい”と」と思った記事がありました。

私がさまざまなご家庭を見ているなかで思うのは、お母さん次第だということ。例えば“勉強なんてできなくてもいい。そういったなかで道を拓いていこうよ”と、発破をかけてみる。子どもは作物とよく似ている。太陽が燦々と降り注がないと作物はきちんと育たないのと同じで、人間の心も育たないんです。お母さんがネガティブだと絶対にダメ。太陽の方向に作物はどんどん伸びていく。それと同じ。これからどうすればいいか。まずひとつは、お母さんの在り方を変えなくてはいけない。教育とは、教え育てることではない。教えを育むこと。だからディスカッションは必要。変に諦めたり、距離を置いてはダメ。“生きている価値が見出せない”と言うならば“価値ってなんなの?”と話してみる。生きているだけでも十分立派なこと。働いて普通にご飯を食べていけばいいんです。あとは自由に生きていい。お互いに人生を哲学していかないと。それが家族全員の幸せにつながるんです。もっともっと明るく朗らかに。この家には絶対に笑いがないと思う。“歓”がない家はダメ。歓びというのは、物質的な歓びではない。何かを貰って、食べて…ということではなく、ちょっとのことでも笑っていくこと。お母さん改革が大事。お母さんも申し訳ないけれど、ご主人が亡くなるまでは、どこかでご主人に依存して生きてきたのかもしれませんね。家族みんなが、お父さん亡きあと、同じように彷徨っているのかもしれない。そこを、未来の為に変えていって欲しいなと思います」

参照元
「死にたい」と言うニートの息子を案ずる母へ…江原啓之が助言

抜粋して自分へメモしておきます。
まさにこの通りの家庭でした。下ばっかり向いてる親に引きずられていました。「諦めて耐えて生きていかねばならぬのか?」と、親の思考から抜け出そうと苦労してました。

誰でも辛いんですよね、生きていくのが。これでいいのか?と悩んでいるんです。ずーっと暗中模索なんです。だからこそ、その日のご飯を美味しいと感じて、目に入ってくる風景に癒しを感じて、人の笑顔に元気を感じるのです。五感を磨いて上を向く事が「辛さ」に打ち勝てる方法であり、人生の最終目標のような気がしました。

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