メモの考察

メモ

ウツと認知症を発症している母親ですが、微妙に変化がありました。いつものメモ「シニタイ」が「死ニタイ」になってました。父親と「あれ?漢字・・書けるんだ」とへんなところで感心しちゃいました。食欲も少し出てきたようで、夕飯時(私が必死に炊事してる最中)に「ごはん(もう夕飯の時間)」と言ったんです。「牛乳いらない」と言いながらコップに入れると黙って飲むし、ウツが表層的な感じになってきているようです。以前はもっと根が深いような感じがしました。

母親の否定的な言葉「シニタイ」「オワリ」「オソイ」などについて自分なりに考察してみました。まず「心の奥底からはそう思ってはいないだろう」ということ。ちょっと不安な要素を感じるとすぐに「シニタイ」とアウトプットしてしまうだけではないのかな?と。普段、私たちでも新しい事柄が始まろうとした時って「ああ、大丈夫かな?失敗したらどうしよう?」と感じるのが正直なトコ。その気持ちが「シニタイ」って極端な言葉でしか表現できないのであろうと。100個中99個が幸せ要素であっても1個に不安要素があった時そっちに大反応して、100個全てが「シニタイ」になってしまうのであろうと。やはりウツは幸せを感じにくくなっているんだと思います。他の方のウツはわかりませんが、母親に関してはこの傾向が強いのであろうと考えました。

だとしたら「シニタイ」と書き出したら「ああ、不安を感じてるんだな」と思えばいいんだな・・と。「ちょっと不安かな?大丈夫だよ」で流してもいい気がしてきました。今度、実践してみようと思います。認知症って表現も少なくなってしまうんですね、きっと。

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